野内与吉(マチュピチュ初代村長)の子孫が作った資料館とは? 【ナゼそこに日本人】

こんにちは! 管理人の悠木です。
5月21日放送の「世界ナゼそこに?日本人」では、
初代マチュピチュ村長・野内与吉氏が登場しますね。
そして同じく放送に登場した野内氏のお孫さん。

実はペルー生まれでありながら単身日本へと渡り、
働きながら学問を修め、昨年なんと野内氏の資料館をオープンされたという
とってもすごい方なんです!

今日は、野内与吉氏と、そのお孫さんであり
日本マチュピチュ協会会長および
野内与吉資料館館長である、野内セサル良郎さんと、
資料館へのアクセスをご紹介します!

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野内与吉氏プロフィール

出典:マチュピチュと野内与吉の物語

出身:福島県大玉村
生年月日:1895年(明治28年)11月18日
没年:1969年(昭和44年)8月29日

裕福な農家の家に生まれた野内氏は、
1917年(当時21歳)にゴム産業で賑わっていたペルーへ。
アメリカ、ブラジル、ボリビアを転々としたのち、
1923年にペルー国鉄に勤務。
1929年に完成したクスコ〜マチュピチュ間の
線路の拡大に携わっていた野内氏は、
終着駅だったマチュピチュ村に定住するようになりました。

当時は数家族しか住んでいない、
電気も水道もない村を発展させたのが
他ならぬ彼だったのです。

川から水を引いて水道を通し、水力で発電。
畑もいちから作りました。

1935年にはホテル・ノウチを完成させます。
このホテルは郵便局や交番・裁判所としての機能を備えており、
村の人に無償で開放していたと言います。

野内氏は語学にも堪能で、英語はもちろんスペイン語、
現地の言葉であるケチュア語にも通じていました。
この語学力を活かして、村人への手助けはもちろん
大きな災害が起こった際などに国と交渉するなど
マチュピチュ村の発展に全力を尽くしていた方です。

では、そのお孫さんとは一体どんな方なのか……?

野内セサル良郎さん

出典:日本マチュピチュ協会

出身:ペルー共和国 クスコ市

16歳の頃来日し、工場で働きながら定時制高校を卒業。
苦しい生活ながらも学問に勤しみ、大学も卒業しました。
2013年:マチュピチュから特別代表者として任命。
2014年:日本マチュピチュ協会を設立
2017年:野内与吉資料館を福島県大玉村に設立

若くして日本に渡り、何度も「ペルーに帰りたい」と
思ったという野内館長。
そんなとき心の支えとなった祖父の功績を、
そしてペルーやマチュピチュの魅力をもっと多くの人に知ってもらいたい。
日本とマチュピチュのつながりを身近に感じて欲しい。
そんな思いで、長年にわたり
野内与吉資料館を設立しようと尽力してきたそうです。

2017年はちょうど野内氏がペルーに渡って
100周年の記念すべき年でした。
今から約100年前、いまや世界的に有名な都市となった
マチュピチュをゼロから作り上げた日本人がいた……
とても胸が熱くなります。

野内館長も、祖父の功績を伝える、
ペルーのことを知ってもらうという
ご自身のの夢・目標を叶えるため
並々ならぬ努力をなされたと思います。
おふたりに心からの敬意を評します。

Next : 資料館はどこ? 館長と行くマチュピチュ旅行プランとは?

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